被災された建築史の仲間

2011/03/28(月) 日記
東日本大震災から12,3日後にようやく連絡が取れた仲間がいました。一人は前の会社の上司で新地町(津波で被害に遭った地区)のNさん。そして福島県建築士会青年委員会の副委員長の鹿又君。本当に心配をしていたのでホッとしましたが、Nさんは津波が100m手前で止まりましたが、家屋は被害に遭ったそうです。鹿又君は富岡町という避難指示が出ている地区で、家は大丈夫でしたが放射能の影響で現在は栃木県宇都宮市の会社の寮に移っているそうです。
彼は避難生活をしながらも消防団員としてボランティアで福島県に残り活動していました。凄いです。敬意を表します。尊敬します。建築士という事で応急危険度判定に出ている私はとても小さな活動で、何かもっともっとできないのか感じる日でもありました。
忙しく、時間にも追われる彼に対してメールで今後は連絡を取り合おうと言いましたが、避難指示のためPCも置いてきたそうです。放射能・・見えない汚染は恐怖であり無我夢中で避難したと思います。その中で被災しながらもこういったボランティアをしている方々の中には建築士が多くいるようです。一日も早く安心できる環境になるよう祈るしかありません。彼との電話の最後には、「大桃さんも頑張ってください」という逆に励まされた言葉には、彼の前を見つめてる姿勢がずっしりと含まれていました。

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